海外戦略 インドネシア進出計画

なぜインドネシアなのか?

  チャイナリスクが増大してしまった今でこそ、新興国の1つとしてインドネシアという国に脚光が当たっておりますが、2年前にこの国に注目していた人は、そう多くはないのではないでしょうか。当社も中国やアメリカにいずれは進出してみたいという夢を持っていましたが、インドネシアは完全にノーマークでした。

 

  そんな2010年6月に運命の出会いが当社に訪れました。「変な外人がノーアポで来てますが」と連絡を受けました。出かける予定があったので、会おうかどうか迷いましたが、15分程度ならと思い会ってみました。劇的な展開が待ち受けておりました。アメリカ進出の夢があった当社は、その年の2月市場を調査するためにロスアンジェルスのベーカリー、洋菓子店を見て回りました。その中に、ロスで一番美味しいと評判の「ボンジュール」という店を訪れフィナンシェを購入し、試食しておりました。この「ボンジュール」は、マイケルジョーダンとか、松坂大輔も買いに来るほど評判の店だそうです。

 

  ちょっと前置きが長くなりましたが、このノーアポ外人は、2人でした。一人は、なんと「ボンジュール」のオーナーシェフのZ氏で、もう一人はインドネシア人のW氏でした。もちろん、Z氏と私は、初対面でした。話をするにつれこの偶然の出会いがお互いにわかり意気投合してゆくのを感じました。

 

  是非、ジャカルタに来てほしい。そして、その発展した姿を見てほしいとのことでその年の11月に初めて、ジャカルタを訪問致しました。ジャカルタは、想像以上に発展しており、高層ビルやきれいなショッピングモールもありました。しかし、まだまだ貧困層の人々も多く、高層ビルとバラックが隣り合わせに存在している状態でした。

 

  そんな中、日本で焼いたバームクーヘンを航空便で送り、ジャカルタで販売してみることになりました。初めは、売れるかどうか半信半疑でした。なぜなら、航空便の送料は高く、日本で600円のバームクーヘンがジャカルタで1200円で販売しなければ利益を生み出さないからです。ところが、日本の2倍の値段のバームクーヘンがあっという間に売れてしまいました。その後、何度もバームクーヘンを空輸し、販売しました。

 

  そうこうしている2011年、本当は中国進出を先に考えていた当社にある大事件(みなさんにとっても)が起きました。東日本大震災です。この地震で、福島原発から放出された放射性物質により、中国本土で日本製あるいは日本を連想させる食品がまったく売れなくなりました。 中国にいるビジネスパートナーからも、中国進出を延期したほうが良さそうだと連絡が入りました。

 

  そんな状況の時、インドネシアからは、またバームクーヘンの注文がきていました。Z氏もW氏もこんなに売れるんだったらジャカルタに工場を作って生産したらという問いかけがありました。中国を中断せざるを得ない際に、私としてはムクムクとインドネシアに対する気持ちが芽生えました。それから、1年数か月、とうとう下記のように工場完成を11月末に予定するまでになりました。

 

 

 

 

  • 工場改造中です。

上の画像は、1階焼成場の工事風景です。

工事は、9月初旬に始まり、11月下旬に終わる予定です。

 

 

 

これは2階包装作業場の風景です。

 

 

 

3階、工場長の居住スペースです。

 

 

10月21日(日) ついにバームクーヘン焼成機等機械をジャカルタへ向けて運び出しました。

 

 

 

11月16日にジャカルタの港に到着予定です。             つづく。



K君(当社若手)ついにジャカルタへ!!

           11月21日ついに、当社若手のサムライK君が、機械屋さんとジャカルタへと渡ってゆきました。

ところがです、船積みされた機械を入れたコンテナが、ジャカルタへついたまではよかったのです。なんとそれから3週間以上、通関にかかってしまいました。機械屋さんは、一度日本へ帰ってきました。


           12月17日に通関ができるであろうという予測のもと、機械屋さんはまたジャカルタへとむかいました。それまでの間、K君はジャカルタ現地で、仕入れ業者との商談をしていました。K君は、英語もインドネシア語も全然しゃべれません。 通訳を雇いました。ノラという22才の女の子ではじめての仕事になるそうです。彼女は、K君がジャカルタに行く2、3日前にW氏からスカイプ(テレビ電話)がきて、私に面接をして欲しいとのことで、ギリギリセーフで雇いました 。彼女はの日本語もかなり低レベルですが、兎に角話し相手ができてK君にとっては、良かったと思います。

 

          何とか、12月17日にコンテナが通関でき、機械屋さんもバームクーヘンの焼成機、ミキサー等の据え付けも終わりました。12月後半には、2回程試作しました。2013年新年早々、本格的な試作の開始です。

 

 

 

焼成機、ミキサーを設置:

 

 

 

 

         さて、本格的な試作の開始と同時に、作業員として1人、デニーという若者を雇いました。2013年は、乳糖製菓インドネシアは、K君、ノラ、デニーで出発です。あっと、W氏もか? 兎に角、早くいいバームクーヘンを焼いて、販売開始へと行きたいものです。焦る気持ちとは、うらはらに時間は流れますが、なかなか良いバームクーヘンをやくことが出来ませんでした。1月末まで、W氏の憤ったような文章のメールがなんども私に届きました。その内容は、バームクーヘンが硬いとか、色が悪いとか、しっとりしていないとか、ネガティブなものでした。

 

 

K君、ノラ、デニーのオープニングスタッフ:

 

 

 

 

 

試作を始めるK君:

 

 

 

 


        その反面、K君からの連絡は、W氏のそれとは何か温度差があり、同じ試作の報告とは思えないものを感じました。W氏には、明らかに試作がおもったより、うまく行っていないあせりを感じ、K君からはそれほどでもなく、「まあまあ感」を感じました。 これからが、悪戦苦闘の日々とはつゆ知らず、試作を開始しました。




悪戦苦闘の試作!!  一歩一歩前進あるのみ。

       サプライヤーが、勝手に持ってきたサンプルは決してバームクーヘンの製造に適したものばかりではなかった。どれが、適してないか調べチェンジする作業をしました。試作の上がりはよくなりましたが、どうもしっとり感が足りません。